artisanとはattitudeである : iolom new arrival.

prasthana co., ltd. 代表/デザイナーの武井です。

artisan、アルチザン、って言葉ありますよね。
直訳すると「職人」。
アパレル界隈で「アルチザン」と言うと、例えば断ち切りの始末であったり製品加工(染め)であったり、凡百の表現をすると「長年着古したような味のある製品」みたいな感じをイメージすると思います。
この「アルチザン」と括られる分野の洋服って、僕が夢中になって散財を繰り返していた2000年代初頭には既にそのシーンが形成されていて、今ではもう活動していないようなニッチなブランドなんかもけっこう沢山ありました。
僕個人はどっぷり浸かった、という訳ではないのですが、周りに好きな人もちらほらいたし、なんだか気になる存在として今日に至る、そんな感じです。

で、これはなにも日本人に限った話ではないのですが、世にある様々をジャンル分けしてカテゴライズしたい人、多いですよね。
衣服に限らずなんでもそうで、特に音楽において顕著かな、ジャンル様々めっちゃあります。
このジャンル分けによるカテゴライズ、消費者目線ではその名称を定める事で自分の好みに合ったものを見つけ易いというメリットがあります。
あとは、ブーム(トレンド)を生み出す時(仕掛ける時)にもジャンル名ってマストで、毎シーズン、いや日々、際限なく新しい、否「新鮮に感じるようなワード」が産み出されていますよね。
「メディア用のラベル」と揶揄されることもあるこういったプロモーションって、便宜上必要なのだと思う半面、デメリットも孕んでいるものです。

昔、僕が音楽活動に邁進していた一時期に、けっこう深めにそのシーンに傾倒していた音楽性で「EMO」というカテゴライズで語られる分野がありました。
起源は90年代初頭〜中頃のアメリカのインディーシーン。
スケーターパンクとかメロディックハードコアという呼称で既に市民権を得ていた音像をベースにしつつ、従来の西海岸的なカラッとしたドライなサウンドではなく、しっとりとしたウェットな感じ、且つ抒情的なメロディーをフューチャーしたイメージで、日本におけるそのシーンの黎明期は90年代後期〜00年代初頭、その頃は「EMO」というワードは(日本においては)一般的ではなく、僕達は「EMOTIONAL(HARD CORE)」と呼んでいました。

「SKINNYなROCKスタイル=DIOR HOMME(エディ期)」とか
「MODE×STREETのオーバーシルエット=VETEMENTS 」とか
「動物系と魚介系のダブルスープ=青葉」とか
どんな分野にも必ず、その歴史を語る上でポイントとなるパイオニアが存在するものですが、この「EMO」の文脈におけるそれは間違いなくワシントンDCのレジェンドバンドである「FUGAZI」、もっと言うとVo/Gtの「イアン・マッケイ」という人物です。


「FUGAZI」以前に氏が在籍していた「MINOR THREAT 」というバンドはまさにスケーターパンク(もっと言うとユースクルー、あ、けどDCハードコア特有の感じなのでそんなにカラッとはしてないか、、)といった音像だったので、上述した「EMO」の成立を、その活動が体現していたと言えます。
(この辺も諸説あり、というか選ぶ言葉で大分印象も変わってしまいます。POST PUNK=PUNKに代わるもの、という呼称の方がしっくりくる方が多いかもしれませんが、この場では一旦これについては言及しません。)
しかし、「EMO」がいちジャンルとして確立し、急速に商業的なものになっていくよりずっと前に、氏はこんな事を言っています。

「EMOという名称は馬鹿げている。何故なら、そもそも音楽は全てEMOTIONAL(感情的)なものだからだ。」

オリジネーターほど、このようなジレンマに苛まれるものなのだと思いますが、これこそがジャンル分けをして物事をカテゴライズすることのネガティブポイントですね。
様々なインスピレーションをインプットして、咀嚼、自身の表現に昇華してアウトプットする(必ずしもその限りでは無い場合もあるかもしれませんが)、往々にして表現者はそのように創作に向き合っている筈なのに、それが便宜上「〇〇系」と括られて大衆に届き、消費されてしまう。
更にリスクとして、どんなに音楽的に優れていても「〇〇系だから聴かない。」とか、そんな状況も起こり得る訳です。
これは発信側としては勿論、受信側としてもデメリットでしかないですよね。
まぁ、その反面「〇〇系だから聴く。」という層には訴求し得る可能性があるので、一概に良いも悪いも断定はできないですが。

大いに脱線しました、アルチザンの話に戻します。
冒頭で書いた「断ち切りの始末」や「二次加工」または「そのような雰囲気で作られた製品」を指して括るのではなく、ここはひとつ言葉の本質に立ち返ってですね、「artisan=職人」=「手の痕跡を感じる物作り」。
それをして「アルチザン」と呼びたいと僕は思っています。

僕がバイイングしているprasthana sendagaya storeのセレクトラインナップは、強烈にそのような匂いを発散している作品ばかりなのはお気付きの通りです。
prasthanaの衣服に関して、ここ数年の物作りに向かうスタンスとして「手の痕跡」という要素は確実に意識している部分なので、その視座に立つと「手仕事の空気感」をほんのり宿したプロダクトであるとは思うのですが、それはあくまでも「ほんのり」くらいのものです。
アルチザンブランドというカテゴライズをされる、ということは決してないし、そもそもそのような思考で物作りをしていません。
この辺は前回のBAUHAUSの記事でも書いているので遡ってお読み頂きたいですが、prasthanaの創作として目指すものは「機能性と意匠性を併せ持ったプロダクト」であり、この「意匠性」という言葉が内包する一側面に「手の痕跡」の要素がある訳ですが、ブランドの全体観として「僕個人の強い作家性」みたいなものは介在させる必要が無いと思っています。

だけど面白いもので、いざ自分が星の数ほどあるブランド/作品群から自店のバイイングをしましょう、となると、「GUIDI」然り今回のテーマである「iolom」然り、極めて強い作家性を宿した作品に惹かれる。
当たり前ですけど「創作」と「バイイング」は全く別の行為であり、ことバイイングに際しては、もしかすると自分の中にある「職人仕事への憧憬」みたいなものが作用しているのかもしれませんが、兎に角、僕のanother perspective全開でセレクトしているprasthana sendagaya storeの商品群は、手前味噌ですがめっちゃ良いとこ突いてると思います。

そんなセレクトブランド「iolom」。
デザイナーの坂本さん=iolomであり、氏の手によって産み出される作品には、確実にiolomたらしめる「独自の美意識」が宿っています。
prasthana sendagaya storeではこれまで、基本的にはiolomのセレクトはジュエリーを基本としていましたが、今回以降はレザーのプロダクトにもフォーカスしていきたいと思っています。
iolomのレザー、あまり馴染みの無い方もいらっしゃるかと思いますが、そこはiolomですので当たり前ですけど、めっちゃ最高ですよ。
坂本さんとは公私共に親しくさせて頂いていて、日々色々とお話しするのですが、シルバージュエリーに対する知見はもとより、レザーに関しても非常に造詣が深い人です。
今回作成頂いた「DRAW STRING BAG 」、素材はKUDUです。
KUDU、クードゥー、? 否、クーズー。
坂本さんは事も無げに「これね、KUDU(クーズー)っす。」と言いますが、クーズー? はて? となりますよね。
クーズー↓こんな動物

ツノがえらい格好よろしい、鹿と牛の中間みたいな動物(?)で、生前の傷が多く、その革は野性味溢れる表情が他の素材にない魅力、とのこと。
アフリカでは珍しい動物という訳ではないが、日本の動物園では1頭も飼育されていない為、知る人は少ない、とのこと。(wikiより抜粋)
一般的には「まぁ、、あんまり知らないよね! 」みたいなフレーズもナチュラルにスルスルと出てきます。
受け手のこちら側もしっかり背筋を正さないと、と日々思わされています、そんな坂本さんが作る「iolom」です。
今回の入荷は
「DRAW STRING BAG」
「GLASS CHAIN」
「EAR CUFF」×2型
です。
下記ご確認下さい。

 

既にECは更新済み、prasthana sendagaya store店頭でも展開しております。
是非、至極の職人仕事に触れてみて下さい。
なんというか、言葉では表現できない「何か」を感じられると思います。
その「何か」こそが、大量生産品では代替が効かない領域であり、ファッションが人にもたらし得る高揚感、なのではないでしょうか。
カテゴライズする為の呼称としての「アルチザン」ではない、態度(attitude)として「アルチザン」なプロダクト。
是非お試し下さい。

宜しくお願い致します。