inside of thought.#3 [犀の角のようにただ独り歩め]
prasthana co., ltd. 代表/デザイナーの武井です。
11月に入りました。
2023年も残すところあと2ヶ月という状況。
いやー、、早すぎますね時間の進みが。
ここ最近、公私問わず人と会ってお話しする機会があると、必ずと言っていいほど話題に挙がります。
事業を営んでいてよく遭遇する、「あれ、また月末?」という不意打ちかのような事態。
もはやこの「経営者いつも体感月末説」はあるあるの領域ですが、この月終わりのタイミングを2023年、もう10回経て来たのかと思うと、まぁ、自身の感覚と実際の時間の流れとの間にある著しい乖離に狼狽してしまいます。
加齢によるものであるとか、楽しい&充実した時間は早く過ぎ去るとか、諸説ありますが、なんだろうな、兎に角そんな日々を過ごしております。
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
このJOURNALコンテンツ(今回より改称)の更新頻度を上げるように努めます!という決意表明は直近の過去記事でも綴っている通りで、これまではシーズンスタートや商品入荷、といった店舗におけるトピックにのみフォーカスして記事を書いていましたが、ここ最近はその限りではなく、もう少しピックアップする事柄の範囲を広げて、様々書いてみています。
「inside of thought.=思考の内側」と題した回に関しては、そのような雑記的な位置付けとしておりまして、今回はその#3となります。
#1、#2では僕が手がけるブランドprasthanaの根幹となるコンセプトや創作におけるあれこれを少し掘り下げて綴らせて頂きましたが、今回は若干趣が異なります。
人に降り掛かる苦悩とそれをいなす技術(思考法)。
そしてその技術が、自身のブランド運営、ひいては「生きる」という絶対的なテーマに対してポジティブな作用を生み出し得る要素となるのではないか、そんな話です。
これも僕の思考の内側、という事で、是非読んで頂けたら幸いです。
「犀の角のようにただ独り歩め」
かなり有名なフレーズなのでご存知の方もいらっしゃるかと思います。
お釈迦様=仏陀の言葉ですね。
この辺の解釈ってけっこう人によって様々なところがありますので、断定めいた事を言うつもりはありません。
あくまで僕個人の見解です。
まず犀っていうのはあのサイです、動物の犀。
インドサイは群れではなく単独で行動する動物で、「犀の角」と言う表現は「孤独」を意味する比喩である、と。
この比喩表現と、「独り」という具体的なワードからも分かるように、仏陀は「孤独」を勧めているのですが、その背景には「人の悩みの多くは人間関係に起因する」という分析があります。
生きていく上で不安や悩みは際限無く降り掛かるものですが、その要因の多くは他者から受ける影響である、という事ですね。
これはですね、僕自身かなりタイムリーに実感した事でして、
「自分、けっこう今しんどいです。。」とか「あのク◯野郎大概にしろよ。」とかそう言った類の愚痴や罵詈雑言は一切発信していない(当たり前。)ですが、まぁ色々あるんですよ日々。
こんな事は何も僕に限った話ではなく、社会の中で生きている以上、確実に誰しも経験している事の筈で、それをして社会生活、もとい人間、なのだとも思います。
そんな「辛い」「しんどい」を極力遠ざけて生きていく為に、「孤独」を推奨しているわけですが、この「孤独」は「独立/自立」に置き換えて捉えると良いと思います。
他者に拠り所を求めず、自身の目標や成すべき事に、真っ直ぐ伸びる犀の角のようにただ邁進してそれを成就する。
そうして独立/自立した人格同士の関わり合いにおいては、人間関係に起因する大小様々な悩みは発生しないのだろうという事。
うーん、、頭ではなんとなく理解したような気になっていても、そんなに簡単ではないです。
かくいう僕も、直近2ヶ月程、具体的には来季SS24展示会の諸々に際して発生したとある問題から、前述の通りかなり強烈に喰らってしまって、感情の乱高下が凄い、みたいな時間を過ごしていました。
僕視点では「不義理をされた。」と酷く落ち込んだのですが、それってなんというか、「他者に期待していた」故のカウンターであって、これ表現が難しいんですけど、「信頼」と「期待」の違い、というのが言語化するとしたら最もしっくりくるのかな、と今になってみると思います。
「独立/自立した人格同士の信頼関係」と「誰かに依存しながら何かを期待する関係」
この二つの状態ってまるで違いますよね。
なんか文章を書きながら自分自身再確認している、みたいな感じですが、要するに何にも捉われず、自分が決めた道を歩め、犀の角のようにただ独り。
そうする事できっと様々な歯車が噛み合って回り出し、自身を取り巻く環境も自ずと良い方に向かうものなのでしょう。
それが、「生きる」という事を随分楽にする手段だよ、という事だと僕は理解しています。
「孤独」を推奨しながらも、仏陀はこんな事も言っています。
「もしも汝が、懸命で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得たならば、あらゆる危難に打ち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。」
この同伴者、が意味するところは、家族やパートナーといった存在、更には、例えば仕事や或いは趣味、人が人生を通して向き合っていく何か、そんな様々を包括した表現であると僕は解釈しています。
悩みの原因となる対人関係から精神的に距離を取る、という意味での「孤独」の推奨と共に、「優れた友(同伴者)」との交流も勧めている。
一見矛盾しているように思えるかもしれませんが、真に独立した人格を形成する為には、そのどちらも必要、という事らしい。
確かに、例えば他人が飲んだ水が自分の喉を潤す、なんて事はない。
その意味で、自分の代わりなどいない、自分はただ独りの存在です。
しかし、当たり前ですけど人って独りで生きているわけではないのです。
他人と関わり、時に協業したり時に離れたりしながら、成すべきを成し、生活の糧を得て、生きています。
僕の日々に置き換えると、僕のデザインを型紙に起こしてくれるパタンナーがいて、それを裁断してくれる裁断士がいて、それを縫製してくれる縫製士がいて、それを仕上げてくれるまとめ屋さんがいて、最終的にそれを着てくれるお客様がいる。
(もっと言うと生地屋さん→機屋さん→原料の栽培、、、付属とか、etc... 果てしないので端折ります。)
このような物事の成り立ちや人との関わり合いにこの思考を持って臨む事、そして自身の人格のクオリティーが上がっていく事は即ち、日々の充実や仕事の精度の向上に寄与する筈ですし、更に自分に降りかかる厄災からその身(心)を守るシェルターとして、なんと有効なのだろうと、僕は思っています。
「犀の角のようにただ独り歩め。」
この言葉ないし思考法を常に念頭に置いて、とまでは言わずとも、御守りのように心に留めて自身の生き方のスタンスを形成する事は、本当にめっちゃ大事だと思います。
僕の今の立場上、どうしても視点が「生活」より「仕事」に偏りがちですが、自身の道で大成している人達って、自覚的/無自覚的問わず、例外なく実践しているんじゃないかな。
本分であるアパレルの領域とは随分距離のある内容でしたが、お読み頂きありがとうございました。
ですが、このJOURNALコンテンツに辿り着いて下さった奇特な方々には、もしかすると楽しんでもらえるのではないか、と淡い期待、否、確固たる信頼のもと、つらつらと書いてみました。
僕にとっての「優れた友(同伴者)」は家族やパートナーはもとより、信頼を置いて関わり合いを持って下さっている取引先各位、そして何より自分自身が、長い時間冷める事の無い情熱を持って向き合っている洋服の存在に他なりません。
あなたの友にprasthanaを! なんて烏滸がましいですが、それに足る自信と覚悟を持って、真摯に運営を行なっているつもりです。
雨風を凌ぐ、気温や湿度に適応する、そのような機能だけではなく、人の感情やモチベーションに訴えかける力がファッションにはあります。
要は楽しんで洋服を着ましょう、というのに帰結する。
最後めっちゃ軽いですが。
そんなことを考えながら、日々の仕事に向き合っています。
そんなprasthana。
プラスターナって、サンスクリット語で「出発」「旅の途中」といった意味を持つ言葉です。
まだまだ途中、多分この先ずっとそうだと思います。
ワクワクしてなりません。
宜しくお願い致します。