inside of thought.#7【2026夏の話】
prasthana co., ltd. 代表/デザイナーの武井です。
好きなもの:椅子
嫌いなもの(こと):正座
プロフィールを改めようと思います。
皆様大変ご無沙汰してました。
前回の記事でも書いたのですが、8月7日〜9月9日の間不在にしておりました。
この期間はpss実店舗ならびにECも休止していた(せざるを得なかった)為、prasthana co., ltd.として、文字通りぽっかりと穴が空いたような1ヶ月となりました。
こんな事態は勿論過去になく、自分にとって大変しんどい、そして、大切な人達、こと、もの、などなど、日頃自身を取り巻く様々に対する思いを新たにした時間でした。
ちょっと今日はこれまた久々の「inside of thought.」てことで、この1ヶ月のことを書きます。
※inside of thought.の記事は通常の内容と異なり、prasthana及びpssに関する情報(入荷、とか展示会のこと、とか)ではなく、prasthana co., ltd.としての事業(商売)に直接関係のないお話について、好き勝手に書き散らかす、といった趣旨となります。
はい、この期間、僕が何をしていたかと言うと、
僧侶(お坊さん)の修行に行っていました。
顧客様方含め近しい方々は既知のことと思いますが、こうやって公に言及するのは実ははじめて。
「は?」て思う方もいらっしゃることでしょうが、まぁ事実ですので、話を続けます。
順を追って説明すると、そもそも僕は寺の息子、ってわけではありません。
ゴリゴリの一般家庭、あ、所謂一般家庭と少し違う所があるとすれば、母&姉&僕、という母子家庭構成という部分でしょうか。
何れにしても、寺とか仏教とか、そんなような世界観はまるで縁遠いものでした。
そんな武井家、転機はいつ頃だったか、もう25年前とかそんなくらいだったと記憶していますが、地元のとあるお寺さんの住職と母親がひょんなことで知り合い意気投合、なんというか、極自然な流れでちょっとずつそのお寺の手伝いなんかをするようになっていきました。
で、先代も既に高齢、身体の至る所に不具合が生じるようになってきていて、大小様々な手術なんかもしていたり、法事やら何やら、なかなか大変な感じだったらしく、関係値が密になるにつれ、ことあるごとに
「利恵さん(母)、坊さんにならないかい?」
といった投げかけがあったそうです。
その時点で、母親は自分がお坊さんになって云々、と具体的に考える、というよりは、僧階(お坊さんの資格みたいなもの)を取れば更に助けとなることができるな、と考えていたそうで、先代と師弟の関係となり、得度して修行して、みたいなことになりました。
自分で書いていても「マジで?そんな話あるの?」とか思っちゃうんですが、これは紛れもない事実でして、後を継ぐ人材がいなかったことから、先代が亡くなった8年前から、弟子たる母親がそのお寺の住職となったと、そんな話です。
「住職」って「住む&職」ですから、当たり前だけど母親はお寺に住むようになって、そのタイミングから僕の実家はお寺になったわけです。
嘘みたいな話かもだけど、これ事実です。
で、日々は平穏に流れ、、るわけではなく、今から4年半ほど前、2022年の1月に母親が脳梗塞で倒れました。
その後脳出血なんかも発症しつつ、幸いことなきを得て今も元気にしてはいるのですが、
「いつまでやれんのか?」
というか
「次は誰がやるの?」
といった世代交代問題が武井家の眼前に突きつけられ、見て見ぬふりをしていたこの件について、流石にもう真正面から向き合わなければならない、となりまして
「じゃぁ、俺やる、、?」
となったと。
嘘みたいでしょ?これマジですからね。
では僧階取るにはどうしますか、となるわけなんだけど、ここで自分の学歴が足を引っ張ることに。
何度か言及している気がするけど、僕は高校卒業してから暫くの間、フリーターバンドマンをやっていて、要するに最終学歴「高卒」でした。
で、高卒の人間が僧階を取るにはどうするかというと、1年間の本山での修行、これしか手段がないんです。
これもマジで理解に苦しむというか、ほんとに?って感じ。
学歴とか極めて関係なさそうに見える世界観なのに、めっちゃ問われるやん笑
1年山籠りとか、有り得ないわけですよ、prasthanaどうすんの?と。
あ、僕の腹積りとしては、prasthanaと僧侶の両立、二足の草鞋という道しか考えていないですから、1年は流石に無理無理!! ってことです。
他方、大卒以上の資格保有者は、夏の1ヶ月×2回、これが1期&2期に相当、それに加えて1週間から10日間位のカリキュラムが3期、4期、5期、とあって、それら全てをこなすことで晴れて僧階取得、となると。(これとは別に、加行(KEGYOU)という極めてヤバそうなやつもあるにはあるのですが、一旦この話は置いておきます。)
このコースだと、なんとかprasthanaと並走することができるのでは、?
というか、それしかない。
そしたらまずは、少なくとも短大卒の資格を取得しなければ、ってことで、通信制の短大に入学。
暫くの間、実はprasthana×お坊さんの前段階として、prasthana×大学生という二足の草鞋を履いていたと、笑
バッタバタだったけどなんとか2年で無事卒業できて、その流れで得度→今年の夏、って流れなのでした。
諸々しっかり説明しようとすると、とんでもない長文になりそうなので大分端折って書きましたが、まぁ取り急ぎそんな感じのアウトライン。
そんなこんなで、8月7日、ついにその日を迎えます。
事前に情報を集めようとしても全く有用なものは入手できず。
それもそのはず、言い方選ばずに表現すると、マジで究極的な閉鎖環境がそこに広がっていました。
まず携帯その他電子機器は、バリカン以外は即没収(お預け)。
以降、1ヶ月の間、外界の情報はほぼ完全に遮断されます。
僕は事前に、仕事の関係上PCもしくはスマホを自由時間にチェックさせてもらいますから、という約束のもと修行に入ったのですが、なんてことはない、蓋を開けてみたらスーパー気まずい、笑
なんならめっちゃ規則に違反している人物、みたいな雰囲気で、椅子と机でPC作業、なんて全くできない、やるとしたら職員の前で空気椅子ならぬ空気PC、?みたいなノリ。
これは流石に厳しい、、と早々に期間中の仕事は諦めることに、。
なんで、8月10日くらいの段階でECも完全にストップせざるを得ない状況に陥りました。
本音を言うと、この決断が一番精神的にきつかったですね。
売り上げ云々ではなく、勿論それも重要ではありますが、何より心血注いで続けてきたprasthanaの活動を止める、ということが、想像を遥かに超える心的負荷となりました。
あ、そうそう、そんな環境を象徴するような話があって、去年の夏の1ヶ月って、政権交代発表?のタイミングと重なっていたんだけど、修行者達はそんなことも知らされないですから、期間満了してはじめて知ったらしい。
今年はそんな大きなニュースはなく、浦島太郎感はそこまで大きなものではなかったものの、特に8月?水害が大変だったようですね。
勿論そんなことは知り得ませんでした。
住環境は、というと最初は19歳の大学生2人+26歳の社会人経験者1人+僕、という4人一部屋だったのですが、このうち、19歳の子×1人が3日目だったかな、下山(リタイア)しちゃって、以降3人で1ヶ月を過ごしました。
いやー、この歳になって男と寝食を共にするなんて考えてもなかった、笑
事細かに詳細を書くことは控えますが、本山と言う場所は、兎に角全ての機能、というか、なんだろう、言わば宗派を形成する様式の全てが集約された場所、であって、シンプルに「山」という呼称が(その中では)一般的でした。
「この山では云々、」とか「山を降りたら云々、」とかそんな感じ。
で、この山の中には、僕らが普段生活している一般社会とは大きく異なる
「ここでのみ通る常識」
が数多く存在しています。
まず僕が強く感じたことは、確固たる階層、ヒエラルキーですね。
端的に言うと、我々修行僧の山内における位置付けは最下層。
まぁ、そんなもんだろう、とは思う反面、けっこうですね、これは人にもよりますが、随分ぞんざいな扱いを受ける場面も数多くありました。
修行者の多くは20歳前後の若者、その中に僕のような社会人も混じっていて、上は67歳(!)の元経営者のおじさんや50歳前後の女性なんかも数名いました。
自分が何者であるか、なんてここではなんの意味も持たない、ということは勿論覚悟して臨んだつもりでしたが、それにしても、あまりにもなんだかなぁ、、みたいな。
「修行」なんて聞いて容易に想像できると思いますが、正座がキツくて背中が曲がっちゃったりすると、強制的にグッと直されるやつ。
実際マジでそういうシチュエーションがあるのですが、その手のテンションがなんというか、椅子の背もたれなんかを不作法に正すような感じというか、凡そ人に触れる温度感じゃなかったりする。
この辺りは個々人の人間性に依存する領域故、職員皆がみんなそう、という訳ではないまでも、正直わりと憤りました。
なんか、厳しさをはき違えてない?って思いましたね。
8/7を1日目として、期間満了の9/9までカウントすると、合計34日となるのですが、この間の生活リズムは、寸分違わぬ完全に一定のもの、飽くなき反復の日々でした。
まず朝は4時(正確には3時50分)起床、お堂開けと言って、文字通り門を開けたり掃除したり、といった工程を経て、朝勤行を行う。
勤行(ごんぎょう)って言っても分からないですよね。
これはですね、朝のお勤め、なんて表現もするのですが、要するにその時山内にいるほぼ全員、その時々多少の変動はありますが、大凡80人とかそのくらいかな、でお経をあげるわけです。
所要時間は約1時間、! それをマジで一日の例外なく毎朝行う。勿論正座で、!
当たり前だけどお堂に空調なんて無いです。
京都の夏って暑いんですよ、、。
暑さもさることながら、冒頭でも書いた通り正座がヤバすぎましてですね、足もげるんじゃないか、という毎朝ギリギリの闘いを34日繰り返しました。笑
3日目には持ち前の頭痛と熱中症めいた症状、あとは寝不足諸々の複合的な要因によって、朝勤行途中で倒れて担ぎ出される、なんてこともありました。
この時点では、先にも書きましたが、prasthanaの活動をストップしているという精神的負荷と、肉体的負荷のダブルパンチ状態、マジで先が思いやられるわ、、て感じでした。
加えて、自分の不器用さにも嫌ってほど気付かされました。
他の修行者達って、基本的に寺の子息達がほとんど。
ということは、必ずしもしっかり学んだ、ということではなくても、わりと幼少時期から当たり前にお経とかその他寺に纏わる様々に日常的に触れていたりするものなんですよ。
で、僕はというと前述の通り、マジでそんなバックボーンがない野良of野良、笑
この差が極めて大きかった。
最初の頃は何をやっても完全な劣等生。(まぁその状況は最後まであまり変わらなかったですが。)
お経の基本中の基本である「般若心経」てのがあるのですが、これも行きの新幹線で半分くらいまで覚えたかな、というスペック。
恐らく、山内で般若心経をお唱え出来ないのは僕だけだったのではないかと思います。(あ、一応名誉の為に言っておきますが、最終的にはバッチリ覚えましたからね!)
そんな感じでしたので、兎に角触れるもの聴くこと全てがはじめての体験、ほんとにね、お経をはじめ難しいんですよ、笑
正座もきついしお経も下手だし、マジで向いてないなぁ、、と、愕然としたことをまるで昨日のことのように思い出します。
そんな波乱のスタートを切った修行生活でしたが、人間てのは凄いもので、徐々に環境に適応していくんですよ。
本当にきつかったのは最初の1週間くらいかな。
以降は、まず生活リズムに慣れ、そうなってくると体調も安定してきて、それとともにメンタルも落ち着いて、(山で暮らす)要領もなんとなく得ていく。
そうこうしていたら9月9日、出所の日を迎えていました。
いやいや、大分端折りましたが、笑
下山後10日ほど経過しても癒えない下半身を中心とした痛み/不具合以外に、得たものも少なからずありました。
まず、忍耐力笑
これはですね、様々な角度から日常生活では体得し得ないものがありますね。
あとは人間の繋がり。
今後どのようなストーリーを紡いでいくかは分からないですが、素敵な人達と沢山知り合いました。
普段自分が生息している領域ではまず出逢わないような人達。
自分が何よりも大切にしている「ファッション」という共通言語を持たない彼らと、文字通り同じ窯の飯を食い、寝食を共にすることで、なんというか、人間同士で繋がった感覚を得た。
「日々を通して醸成された連帯感」みたいなものは強く印象に残っています。
そんな2026年夏でした。
もっと書こうと思えばいくらでもネタはあるのですがね、取り敢えずこの場ではこんなもんに留めておきます。
もし、ご興味ある方いらっしゃいましたら店頭へ遊びにいらして下さい。
般若心経くらい一緒にお唱えしましょう。
最後にprasthana co., ltd.の近況報告をさせて頂くと、現在aw26-27絶賛生産中。
月内にp|p含め数型、10月の早い段階で最終delまでいけると思います。
この辺も僕が不在の時間にしっかりと進めて下さっていた取引先各位には大感謝ですね。
本当に漸く山ボケ(?)も治り、良い感じのリズムに乗ってきたと感じています。
引き続き、オフィシャルECはじめ個人のXやらIGやら、気にかけて頂けると嬉しいです。
それではですね、皆々様
引き続き宜しくお願い致します。
